忘れ物は一緒に探そう──秋組単独公演に寄せて
今からちょうど一年前。2020年1月18日に初日を迎えた秋組単独の公演期間中ずっと、奇跡のような時間を過ごしていた気がする。でも全部まぎれもない現実で、今でもまなうらにはっきりと思い起されるシーンがたくさんある。だいすきな男の子が舞台の上に生きてくれていることが、なによりも幸せだった。劇場に行けばすきなひとに会える。ずっとずっと、誰かに愛されたいと願っていた男の子が、舞台の上で輝く姿をこの目で見つめることができる。こんなの、幸せなんて言葉でも言い表せないくらいだった。
「…なんでもいい。とにかくアツくなれるものを求めていた。」秋冬公演を想起させる万里くんのポートレイトから始まって、太一くんにスポットライトが当てられた瞬間に息をのんだ。「自分はどんなにがんばってもここまでなのかもしれない。」と言葉を紡ぐとき、彼はどこか諦めたように笑うことがあった。
太一くんってまだたったの16歳なんですよ。それなのに、16歳がするとは到底思えない顔をして笑っていて。その笑顔が、太一くんがこれまでたくさん苦しんで、傷ついて、そして諦めようとしてきたことを悟らせる。ここが自分の限界なんだって知ったときの絶望なんて計り知れなくて、そんなどうしようもないくらいの感情を抱えたときにそんな顔をして笑うんだと思ったら、太一くんのことをぎゅっと抱きしめたくて仕方なくなっちゃった。
太一くんが初めてゼロちゃんを演じてみて、全員からけちょんけちょんにされるシーン。明らかに様子のおかしい「私の名前はゼロよ!よろしくね♪うふっ♪」で笑っちゃうんだけど、でも一生懸命に可愛い笑顔を作ろうとしている表情の中にこれでいいのかなって不安が見え隠れしていて、本当に真面目にやってるんだろうなって伝わってくるのが好きだということ。「秋組で女役をやれるのは太一しかいないと思って」といわれてものすごく嬉しそうに頷くのが、太一くんにとって”唯一”であれることの喜びを感じられるということ。だからこそ、「失敗だったかな」とか「最悪の場合、書き直してもらう必要もあるかもしれん」って言葉が耳に入った瞬間に表情が固まって、そのあと普通にふるまっているようであんまりうまく笑えていないように見えるのが苦しいということ。いくらだって思い出せる、七尾太一という男の子の全てを舞台上に存在させてくれていたシーンのひとつひとつがいとしくて、大切で。もちろんそのどれも日々同じものなんてひとつもなくて、毎日少しずつ違う太一くんの感情や表情から目を離すことなんてできるはずもなかった。
例えば臣くんがガレージに仕舞ってあるバイクのところに行くシーン。扉を開いて、少し荒い息遣いでバイクを見つめ、過去と向き合おうとする臣くんを太一くんが目撃する。上手側にそっと隠れて臣くんの姿を見守る太一くんは、拳をぎゅうっと握り締めて、音にならない声で「がんばれ」と呟いた日があって、うわ、好きだ!って感情で溢れたんだよね。すごく好きだったひとのこと、その一瞬でもっと好きになっちゃった。そういう瞬間が、本当にたくさんありました。
2幕、左京さんがいなくなるかもしれないとなったとき、真っ先にいやだと声をあげるのが太一くんです。多分秋組のみんなってこういうこと素直に言えなくて、そういうところが不器用でどうしようもなくて愛おしいところでもあるんだけど、太一くんの素直なわがままがそんな不器用な男たちの背を押す構図に、いつも心臓がぎゅっとなる。「俺は嫌だ!」と荒げる声には、誰一人欠けてはいけない、欠けてほしくなんてないと思う太一くんの願いが強く強くこもっていました。だってね、太一くんが「MANKAIカンパニーの、秋組の七尾太一」になれたのは、旗揚げ公演前夜のあのときにみんながいてくれたからなんだよ。あの日、断罪しないでくれたこと、けれども簡単に許すわけじゃなく、お前の力で納得させて見せろと言ってくれたこと、それはきっと秋組のみんなじゃなかったら導き出せなかった受け入れ方で、そうやって受け入れてくれたからこそ太一くんもこうして素直な言葉を口にだせるんだな~と思ったら、秋組への感謝でいっぱいで……。
太一くんに居場所をくれたのは万里くんだし、秋組だし、MANKAIカンパニーだし、それは逆にいえばそれがなくなってしまうことは太一くんにとって自分の唯一見つけた居場所を失うことになるから。だから太一くんにとっては秋組が5人であることっていうのはなにより大切なことなんだよ。
— おかゆ (@yyyk838) 2020年3月16日
太一くんってただ自分の主張を素直にできるってだけじゃなくて、あれだけのことをしてしまった自分を受け入れてもらったこと、「秋組の七尾太一」でいることって言うのが太一くんにとって一番で唯一のわがままなのかなって。そのためには5人の秋組じゃなきゃ意味ないんだよ。
— おかゆ (@yyyk838) 2020年2月25日
この話、私にとっての秋単独のサビすぎて一生言ってるね。私はずっと七尾太一くんのオタクだったけど、秋冬公演、秋組単独公演を経てやっと、秋組のオタクになれたような気がします。
エーステが始まってからずっと、A3!という作品を劇場に観にいけることに大きな意味があるという話をしている気がするんですが、秋組単独公演でよりしみじみとそれを実感しました。劇場の生感、毎日違う温度や言葉の紡がれ方、目線の動き。いろんな劇場で、いろんな席で、角度によって見えるもの全てが違っていて、その世界を作り出す全てのものを目で耳で肌で心すべてで感じていたらもうびっくりするくらいたくさんのことを考えさせられた。
毎日ななおたいちくんのこと好きになる!すごい!
— おかゆ (@yyyk838) 2020年1月19日
公演期間二日目にしてこの勢いだけど、千秋楽を迎えるその日までずっとこう思ってたし、太一くんのことだけじゃなくて、秋組のことも、MANKAIカンパニーのことも、毎日どんどん好きになる日々だったんですよね。
秋単独初日からちょうど1年。いろんな人のあの日々を振り返る言葉や文章を読んでみても、私が見たものと同じものはひとつもなくて、あの期間、劇場の椅子に座って秋組単独公演を目にした全てのひとにとってきっとその景色はそのひとにしか見ることのできなかった景色なんだなあと思ったら自分の記憶が思っていたよりもっともっと更に大切で大事な宝物なんだなって再認識できました。
だからこのブログは、私にとっての、私だけのかけがえのない宝物の話。宝箱にずっと仕舞っておいてひとりじめしておくにはもったいなくて、みんなに聞いてほしくなっちゃうような、そんな大切な記憶を持っていることが幸せだし、誇らしいし、そんな記憶をくれる劇場という場所がやっぱり大好きだなあ。
楽しかった記憶が色濃くて、大好きだなあと思う気持ちが溢れるからこそ気軽に足を運ぶことが難しくなってしまった今の世の中がどうしても苦しいけれど、いつになってもいいからキンモクセイの花が咲く頃に”また”秋組のみんなに会いたいな。
昨日の太一くんの後アナの話なんですけど、「いろいろ調べてきたのに行きたいところ全然行けなかった!」っていうのを「俺っち、たくさん忘れ物しちゃったから」って言うのがもうはちゃめちゃに可愛かったんですよね。「愛知のいろんなとこに忘れ物してきちゃったから」って!忘れ物拾いに行こうね…。
— おかゆ (@yyyk838) 2020年2月2日
タイトルはめちゃめちゃ好きだった豊橋公演の太一くんの後アナから。忘れ物、ひろいにいかなきゃね!
これはあなたへ送る一通目─「MANKAI STAGE 『A3!』 ~AUTUMN&WINTER 2019~」に寄せて
(※2019年に書いて下書きにほったらかしていたものを発掘しました)
便箋の一番上に宛名として「七尾 太一様」って書いた。なんだかすごくきらきらしてみえた。一行目に「太一くんこんにちは、初めまして!」って書いた。ちょっとだけ手がふるえた。私が普段出す手紙と全く同じ形で、彼に書いた手紙を出せる日がくるなんて思ってなかった。もちろん、太一くんにあてられるプレゼントボックスがあるわけじゃないから、書いただけだ。でもこれは間違いなく私が私の目で、私の目の前で上演された秋組旗揚げ公演の七尾太一くんを観て抱いた感想をしたためた、大事なだいじな手紙だった。
来たる2019年1月31日、MANKAI STAGE 「A3!」AUTUMN & WINTER ~2019~の幕が開けました。開けちゃった。
この日を迎えるに当たって日常生活に支障をきたすくらいには体調が悪くて、毎日胃が痛かった。もうすぐ始まっちゃう、どうしようどうしようってずっと困ってた。だって春夏やります!って発表されたあの忘れもしない2018年2月8日からほとんど一年だよ。もうすぐ会えるんだ、もうすぐだ。って、一年も待ち続けた人に、ついに会える日を前にして、冷静でいられるわけなんかない。初日が目前に迫った頃のツイッターを見返してたら、本当にエーステの話しかしてないし、毎日しにかけながらカウントダウンしてた。
春夏の時もどきどきしてたけど、わくわくしてたけど、それと比べ物にならないくらいのあの感覚はなんだったんだろう。って考えて、むしろ春夏があったからこそなんだって気付いた。私はもう春夏を経験して、そしてエーステが最高のものであることをこの身で感じてしまっているから。劇場へ足を運んで、その幕が開いたとき確かにそこに恋焦がれた彼らがいるんだということを知ってしまっているから。
『出会えたことが最高のプレゼント 一生忘れないよ』
秋組と冬組がステージの真ん中に集まってこの歌詞を歌ったあの瞬間を、私もきっと、一生忘れない。
太一くんは、顔をぐしゃぐしゃにしながら、割れんばかりの拍手が響く会場の音を、その客席の景色を、五感全てで感じているように見えた。そんな心の底から嬉しそうな、感極まっている様子の太一くんの深々としたお辞儀を、今度は私がこの目に焼き付ける。こんなにも大好きで、ずっと応援していたいと思える役者に劇場で拍手を送れることが、とてつもなくしあわせだった。
七尾太一のファンやってきた自分を思い返してるしこれからまたもう一度わたしは「七尾太一」のファンになる瞬間をこの身で味わえるんだなと思うとどきどきとわくわくでしんじゃいそうだよ
— おかゆ (@yyyk838) November 5, 2018
これは春夏公演が終わった後の私だけど、本当にそのとおりだった。秋組旗揚げ公演「なんて素敵にピカレスク」の幕があけて、そこにいる姿を見た瞬間、びっくりするほど目を惹かれて、ベンジャミンが一言目を発した瞬間、ああなんて繊細な声を出す人なんだと思った。そんな表情をするんだとびっくりした。切ない声で、どこか悟ったような顔して笑う、それは少年と呼べる年齢の男の子がするような表情じゃ決してなかった。あの一瞬で、ベンジャミンという男の子が背負ってきたものを滲ませることができるの、ファンにならない方が無理だよ。
それでお見送りではあの元気いっぱいな七尾太一くんが「観に来てくれてありがとっス!」って、にこにこ笑顔で言うんでしょ。そんなギャップ見せられたら頭がくらくらしてイチコロじゃんね。(これは妄想)
秋冬公演のパンフレットで、演出の松崎さんが「次の春組・夏組の単独公演がもう決まっていることと、今回の公演の評価というのは全く別だと思っています。」「やっぱりMANKAIカンパニーと同じで、まずは目の前の公演がこけたら先はないんだぞ、劇団つぶされるんだって」「これからもずっとMANKAIカンパニーを続けるためにも僕らは今作を本当にいい公演しなくてはいけない」っておっしゃっています。今この瞬間があるからこそその先へ彼らは進んでゆけるんだという考え方。だからこそ今に生きているという実感がひしひしとあって。初日からもう何回も観た光景なのに、何度見たってMANKAIカンパニーが勝利する瞬間はじんわりとしたうれしさがこみ上げてくる。それはきっと、その日その瞬間すべてが未来に繋がる大切な1ページとして刻まれてゆくからなんですよね。
秋冬初日の幕があけてから今日までなんだかずっと足元がふわふわした心地なんですよね。なんだろう。全て現実のことなのに、変に現実味がないというか。あまりにも夢みたいで。春単独が終わって、夏単独が始まって、待ちに待ってた秋単独と冬単独も発表されて、「秋組公演、秋にやってよお!!!!!」って駄々もこねたけど、よく考えたら秋冬初日からほとんど1年を経てまた秋組に会えるの、きちんと季節が廻って来たんだなって思えて素敵だよね。今後、私の暦では1月~3月が秋です。
秋組単独公演、楽しみだな。きっと毎日たのしくてうれしくて、手帳が黄色いシールでいっぱいになっちゃうから、今から買い占めておかなきゃいけない。
太一くんへ。あなたのファンになれて、あなたに出会えて幸せです。これからもどうぞよろしくね。
最後の幕が上がる前に。―エーステ秋冬公演、千秋楽前夜
1月31日に幕を開けたMANKAI STAGE『A3!』~AUTUMN & WINTER 2019~も、もうすぐ終わりを迎えようとしている。東京凱旋公演の千秋楽まで、後1日。
あっという間だ。春夏って謎の空白期間が存在したせいでトータルすると期間としてはすごく長かったから、凱旋公演が始まったときもまだ観られるんだ!って思ってたけど、その時の感覚で生きてたら凱旋公演が来るのがあっという間すぎてびっくりしちゃった。この間始まったばっかりなのに。
それでも大阪から凱旋まで少しだけ日にちが空いたから、ずっと読み返そうと思ってた原作ストーリーを読んでみました。
あの四角い画面の中には、その場にいる全員が映し出されるわけじゃない。例えばリビングに劇団員全員が集まってたって、その事実だけが存在して、プレイヤーの目に見えるのは今言葉を発している数人だけ。その時に、今この画面に映っていない人が果たして何をしているんだろうってところまで、あんまり考えないじゃないですか。…勿論考える人もいるかもしれないけど、少なくとも私は、目の前のストーリーを追うのに一生懸命で、目の前で話している人から発される言葉を受け止めるのが第一だった。四角い画面上だと、視点の選択肢があんまり無いんですよね。
でもそれが舞台になると、何してるんだろう?って考える必要もなく、そこで誰かが何かをしてるんです。何かしてるって言い方もおかしいかもしれないけど、舞台裏に引っ込まない限り、話題の中心にはいない人でも「今、何をしているのか」がわかる。当たり前のことだけど、これってものすごいことだった。
原作ゲームをやってる方は是非バッドボーイポートレイトの一番最初、第2話『秋組のオーディション』だけでも読んでみて欲しいんですが、秋組オーディションがついに始まるぞ!ってシーン。まず最初に太一くんと臣くんがオーディションに来てくれるじゃないですか。
この後、臣くんが夏組のときにお手伝いをしていた顔見知りだったこともあって、みんなが臣くんに話しかけて、臣くんの話をして盛り上がるんです。それはプレイヤーであるカントクも同様だから、その視点でしかこちら側には情報が与えられないんですけど、これが舞台になると視点の選択肢が増えるんですよね。
初めて秋冬公演を観た時、綴くんと椋くんが嬉しそうに臣くんへ顔を向けている間、確かにその奥には誰にも見てもらえなくって手持ち無沙汰になっている、ゲームの画面上には一切出てこなかった七尾太一くんの姿があって。凱旋公演あたりでこそ、綴くんが太一くんのことを見てぺこぺこ頭を下げるようにはなったんですけど、それはまるでずうっと誰からも見てもらえず、影の薄い存在として生きてきた太一くんのこれまでを表しているようでした。
ゲームの画面で見ていたときにはあんなに違和感もなくって、なんでもなかったその一瞬にひとりの人間の人生が映し出されていることに気付いて、まるで頭を殴られたような心地で。
現実世界に生きる私たちにも、人の数だけそれぞれの人生があるように、キャラクターにだって勿論1人ひとりの人生があります。A3!っていう作品は、もともとそれをとても丁寧に描いてくれていると思っているんですが、舞台という形になることによってその丁寧に描かれたそれぞれの人生が交錯する物語の主軸となる人物を、自分で選べるようになるんだなってことに気付きました。
私はずうっと七尾太一くんを見て、彼の行動全てを追いかけていたから、彼の楽しそうな顔も、悩む顔も、罪悪感に押しつぶされそうな顔も、そして何より、大好きな仲間と立った舞台の上からあふれんばかりの拍手で埋め尽くされる劇場を見つめる顔も、何一つ見逃したくないと思うものばかりだと知っています。だって全てが七尾太一くんの人生を構成する大切な感情だから。そうやって太一くんの姿を見つめ続けた時、私にとってあの物語の主役は間違いなく七尾太一くんでした。
そうしてきっと、私が太一くんを見つめたように、万里くんや十座くんを、左京さんや臣くんを、冬組の皆さんや、春夏組、裏方組や、GOD座のお二人を主役としてあの物語を追いかけた人もたしかにいるんだろうと思います。
『夢を見る全てに脇役なんていないはずさ』
原作のテーマ曲のそんな一節を思い出すような、間違いなく、誰もが主役に成りうる作品でした。
ここで太一くんを演じてくださっている役者さんのお話をさせていただきたいのですが、前回のブログで私が話題にあげていたオトメディアの2月号、そこで彼は自分が演じるキャラクターへ一言言葉を手向ける枠で「太一は僕が主役にする」と、そうコメントされていました。
これ、最初は太一くんが秋組のお芝居(エーステでいう劇中劇)で主役を務めることになるとき、やっぱりその"主役を務める太一くん"の姿をこの世界に存在させられるのは赤澤くんだけで、そこまで七尾太一くんと一緒に歩んでくれるのだと、そういう意味だと思ったんです。もちろんそれだけでも十分すぎるくらいの言葉だと思うんですけど。
自分が誰を主役とするかの視点を決められるんだって思ったとき、役者さんの演技や、役者さん演じるキャラクターに惹きつけられる人がいればいるほど、そのキャラクターを主役として物語を追いかける人が増えていくんだと気付けば、点と点が線で繋がるような気持ちでした。私の勝手な解釈だからご本人の意図しているところとはもちろん違うかもしれないけれど、彼が七尾太一くんの繊細な感情を丁寧に表現してくれるたび、七尾太一くんに目を奪われる人がきっと増えて、そうしてその人の中で、七尾太一くんが主役になるんです。ずっとずっと、人気者になりたい、愛されたい、誰かにこっちを向いて欲しいと願い続けていた太一くんが。
太一くんを主役としてあの物語をみて、私、もっともっと太一くんを大好きになっちゃった。もちろんお客さんとして秋組旗揚げ公演「なんて素敵にピカレスク」を観劇する私は太一くんのそんなバックグラウンドなんて知らないんだけど。
俯瞰した目線でも太一くんのことをこんなにも愛おしく思ってしまって、MANKAI カンパニーのお客さんとしてもあんなに儚い表情と明るい笑顔の両面を見せる演技のできる太一くんに目を奪われる。こんなにいっぱい好きになれるなんて贅沢だよね。羨ましいでしょ。
エーステ、本当に多幸感ばかりを与えてくれる。明日で秋冬が終わっちゃうなんて本当に信じられないけど、泣いても笑っても後一回。きっとまた私の大好きはもっと更新されるんだ。
太一くんへ、あなたの人生にこの客席から関われたことが、あなたが舞台上でこの上ない幸せを感じている瞬間に、その耳に届いた拍手の音のひとつとなれたことが、どうしようもなく幸せです。ひとつだけわがままを言ってもいいのなら、明日は「またね」って言わせてほしいな。
明日もみんなが、それぞれの形で、満開に咲き誇れますように。
1月28日のわたしより
あなたと生きられる世界はきっとどこまでもまぶしい─「MANKAI STAGE A3! ~SPRING&SUMMER 2018~」に寄せて
とhttps://twitter.com/yyyk838/status/1059370911629946880
いや今エーステのすごいところを改めて感じてるんだけど「役者」として好きだったキャラクターを「劇場」に観に行けるってそんな夢みたいなことある?
— おかゆ (@yyyk838) November 5, 2018
これは私のつぶやき。ふと思った。いやずっと考えていたことだったけれど、春夏公演の千秋楽を迎えて、秋冬公演の全情報が解禁されて、私の大好きな七尾太一くんのビジュアルが発表されたときに、それがより実感を伴って身に染みた。ずっとずっと、舞台の上に立つ七尾太一くんに惜しみない拍手を送りたかった。それが叶う。しかも何がすごいって、ただ「七尾太一」をこの目で見られるだけじゃない。「七尾太一の演じたベンジャミン」を観て、「七尾太一の出演舞台」の幕が下りるその瞬間に拍手を送れる。すごくない?すごい!!他を下げる意図でこれを言うんじゃないっていうのを前置いたうえで、これまでの数多ある2.5次元舞台の中でこんなにも2次元と3次元の境界線を曖昧にする作品、無かった気がする。
幕が開く
そもそも、A3!というゲームがリリースされたときからずっと、これはきっと舞台化するんだろうなって考えてた。だってこれだけたくさんの作品が舞台化している中で、舞台とか役者とか劇場とかそういうものをテーマにした作品を舞台化しない手はなくない?いくらでもやりようがあるどころか、やりようしかない!だからエーステが発表されたときも「ついに来たか!」って感じだったし、どんな風にA3!の世界を、MANKAIカンパニーを表現するんだろうってずっとわくわくしてた。大好きな作品だし、敬愛してやまない演出家さんと脚本家さんだし、楽曲を手がけるのも最高の人だし、なんたって推しも出演するし、私にとってこんなに最高の舞台ある!?って、最高潮にあがったテンションで迎えた初日。
気が狂っちゃうかと思った。
確かに、間違いなくそこに生きてた。全ての幕が下ろされた瞬間、自分が今どこにいるのかすらわからなくなっちゃうくらい、彼らの世界に没入してしまった。最初こそ普通に観てたんですよ。メインのストーリーは大事なところを救い上げて丁寧に描いてくれるし、画面の上だけでは分からなかった微妙な表情の変化とか、動きとか、そういうところが可視化されることによってここってこういうシーンだったんだって新しい発見がうまれたりとか。そういう、2.5次元にすることで浮き出てくるものを受け取って、大好きなキャラクターたちが目の前で動いて喋る、それだけで十分すぎるくらい満足だった。のに!
演劇を始めた動機も、演劇に対する熱も、何もかもがばらばらで、上手くかみ合ってなかった春組が少しずつ少しずつ距離を縮めて、迎える本番当日。ついに初日ですね!って支配人と咲也くんが話して、「最初は二人だけだったのに、ついにここまで来られました。」って紡ぐ。紡ぎながら、天井に視線を向ける。「あ、」って思った。あ、いま咲也くんは劇場にいるんだ。お客さんが入る前の劇場で、幕が開く前の舞台の上で、支配人と話している。それが、今この、私がいる劇場なんだ。「よろしくお願いします、カントク!」ここまで、ここまでは私たちが「カントク」だった。元気良く頭を下げた咲也くんが、準備のために袖にハケる背中を見送った、その先。MANKAI劇場を思わせる真っ赤な緞帳だけが目に入って、耳に飛び込んでくるのが劇場アナウンス。
『本日はMANKAIカンパニー春組公演「ロミオとジュリアス」にご来場いただきまして、誠にありがとう御座います。』
ここからだった。ここから私たちはMANKAIカンパニーのお客さんになる。私が座っていたあの椅子が、MANKAI劇場の椅子になって、私が見ているその舞台が、MANKAIカンパニーの公演になる。アナウンスが終わって幕が開いて、シトロン演じるロレンス神父の語りが始まった瞬間にもうどうしようもなくうれしかった。
私がずっと観たかった景色ってこれだった。私、MANKAI劇場に足を運ぶお客さんになりたかったんですよ。「カントク」に個性的なキャラクターがあてられているから、ちょっとだけ感情移入しにくかったのもある。自分が若手俳優のおたくをしているから、役者を応援するっていうスタイルに共感できるのもある。いろんな理由が交わり合って、原作を楽しむ時は「MANKAIカンパニーのファン」としての楽しみ方をすることが多かった。そんな楽しみ方が、まさかこんな形で浄化されるなんて、思う?
ものすごく図々しい言い方をします。個人のブログだからゆるしてね。私、あの瞬間あの場所で、お客さんとしてキャスティングされたんです。そんなことってある?あるんですよ。エーステなら、エーステだから!ロミジュリの演目が終わって、最後の音が止まった瞬間、客席に拍手の渦が起こる。さっきまでロミオだった彼が、その音を聞いて佐久間咲也になる。「あ、」って顔して客席を見回すみんなと、「これ、拍手…!」っていう噛み締めるような言葉。ここ、私の一世一代の演技ね。いやぜんぜん演技じゃなくて心からの拍手なんだけど。この舞台にはこの拍手が間違いなく必要なんですよ。「本日は誠に、ありがとうございました!」って春組みんなでお辞儀をして、幕が閉じていく。ぎゅうってズボンを握り締めて、深々と頭を下げる咲也くんとか、お辞儀の後にまたぱっと顔を上げて客席にぶんぶん手を振っちゃうシトロンとか、私知ってるこういうの。さっきまで舞台上にキャラクターとして生きていた人たちが、カーテンコールでめいっぱいの拍手を浴びて役者になる瞬間。こういうの、いろんな舞台で見てきた。生きてるんだよ。咲也くんたちが劇中劇のキャラクターを演じた「キャラクター」だってこと知ってるのに、間違いなく目の前で「役者」として生きた。生きてた!あの瞬間だけは、彼らが生きる世界に私も一緒に生きてた。エーステ、2次元を3次元に浮かび上がらせるだけじゃなくって、私たちを向こう側に引っ張ってくれる。贅沢だ。こんな贅沢しちゃったらもう二度とエーステから離れられなくなっちゃう。離れる気なんて微塵も無いけど!
時が動く
ここまでが初日の衝撃と多幸感の話。で、ここからはエーステにもうめちゃくちゃおびえた話。勿論いい意味で!
千秋楽って割とどの舞台でも特別になるもので、その日だけのちょっとしたちいさな追加演出があるタイプの舞台もある。まあそれが良いか悪いかみたいな話はここでは置いておいて、エーステも例に漏れずそれがあったんですよ。これは予想の範疇。
絶対演出変わるだろうなって分かってたのに、分かってたのに東京千秋楽のその日の春組公演が始まる前、いつもは「本番当日」(「春組初日」だったかも?記憶がちょっと曖昧)って出て来るスクリーンに「春組千秋楽」って出て来た。うわって思った。完全にこれまでとは別の日だった。支配人が慌てて降りて来て「千秋楽のチケットが完売しました~~~!」って、お客さんが満杯に埋まった劇場で言う。千秋楽の日に、チケットが完売している劇場で!ありとあらゆることが今ここのこの場にしかない事象過ぎて、何度も言っているけど自分の今いる場所が分からなくなるの。
いつもは幕が降りた所で2人きりで話してた咲也くんと支配人の会話が、幕が降りる前に行われる。
「いよいよですね!」
「オレたち二人だけだったのに、あっという間ですね!千秋楽だなんて!」
「舞台は、あっという間に時間が過ぎていくんですよ!ラスト一回、頑張ってくださいね!」
「はい!『The show must go on.』 何があっても最後まで、皆で走り切ります!」
もう全然違うじゃん。千秋楽なの!語彙力が全く足りてないんだけど、全てが千秋楽なんだよ!!!その後、いつものように幕が降りて、いつもと違って至さんが出て来た瞬間、あ~~~~~~~って天を仰ぎかけた。舞台から目を離すわけにはいかないから概念だけに留めたけど。至さんが少し足を気にするそぶりを見せてしゃがみ込む。袖からシトロンがひょっこり顔を出して神妙な面持ちで「二日くらい前からおかしかった。公演中に怪我、したのネ。」っていう。これ、さっきまでの春組ストーリーの話で私が書いていなかったわけじゃなくて、本当の本当にこの日に初めて見た光景。
私、春組ストーリー読んでて最初のうちは至さんのこと全く食指に引っかかって来なかったんですけど、春組スト最後の最後、幕が降りた裏で思わず涙を流す茅ヶ崎至のスチルに心臓を鷲掴みにされた女なので、そこのシーンが無いのちょっと寂しいなあって実は思ってた。思ってたら、これだよ~~~~~!!!!!そうだよね、至さんの涙って初日を終えて公演期間をみんなと一緒に駆け抜けて、自分の不調すらも隠してまでみんなと舞台に立ちたいという気持ちに気づいてしまって、そしてたどり着いた"千秋楽"のその日だからこそこみ上げて来てしまったものだもんね……。全てが積み重なって、積み重なった時間があって初めて流す涙なんだよ。「ゲーム以上に本気になれるものなんて無かった」って言ってた至さんが、思わず涙を流してしまうくらい熱くなってることに気付いちゃった千秋楽っていう、特別な日。
も~~~それはさ、それはまさしく「千秋楽」じゃん!?しかも千秋楽”演出”じゃなくって千秋楽”公演”なんですよ。演出なんかじゃなくって、これがまさしく春組の千秋楽なんだよ。私の文章力が無さ過ぎて言いたい事の半分も伝わっている気がしないんだけど、体感としてはも~~~~~天才!?って気持ちで埋め尽くされる感じ。3次元の私から見て、何回公演に通ったって、どれだけ日替わり演出があったって、ただひとつ揺るぐことの無い筈の”舞台上で流れていた時間”が動いた瞬間。生きた。完全に生きたじゃん。だって彼らはあの瞬間「春組初日公演」から「春組千秋楽公演」までの時を確かに生きたってことが証明されたんだよ。もう完敗。いや勝負じゃないけど。負け負け!私の負け!もう好きにして!
その千秋楽の日にだけ、春組公演前の左京さんのお説教の内容も少し変わる。
「千秋楽だからって安易に”千秋楽スペシャル”的な日替わりネタに走って客を失望させる劇団を山ほど見て来た!新規の客もリピーター客も満足させて初めてうんたらかんたら…」
って、これ、メタネタ含んだギャグみたいに捉えることも出来るんだけど、違った観点で観ればこの言葉が出ることがつまり、この後に幕が開く春組公演は左京さんが忠告したとおり”千秋楽スペシャル”なんかじゃなくって、あらかじめ用意された"日替わり"じゃなくって、彼らの千秋楽公演の日に偶然起こってしまったハプニングであり、それを乗り越えるための突発的なアドリブなんだってことを証明しているんですよ。うわ、もう、本気か…??エモを作り上げる天才じゃない?こわ……。
あと春組の話だけでここまで使ってるけど夏組で印象に残った話もさせてほしい。夏組、「初日公演」の時のカテコでは一度お辞儀した後に、その状態のまま天馬くんが幸くんの手を握りにいって、驚く幸くんに対してみんなで手を繋ぐことを促すんだけど、「夏組千秋楽公演」ではもう当たり前みたいにみんなが手を繋ぐの。最後の音が止まった瞬間に、皆が立ち上がって歩み寄る。繋いだ手を高くあげて、皆一緒にお辞儀をする。そんな些細な変化。些細だけど確実な変化。そこに、確かに積み重なった時間が見えて、やっぱり泣いちゃいそうだったし、いくらでも惜しみない拍手を送り続けたかった。
ちゃんと私、MANKAIカンパニー春組と夏組それぞれの「初日」と「千秋楽」を見届けて、その成長を感じ取ったの。
生きる
役者が自分の演じたキャラクターとして役を演じるって言う複雑に重なったレイヤーの構造が私たちから役者の姿を隠して、キャラクターを“役者”として見せてくれるんだろうなあとそう思う。ここでいう「役者」は3次元の俳優さんで、「"役者"」はMANKAIカンパニーの劇団員のこと。これ、ネルケプランニング主催の「アイドルステージ」から通ずるものがあると思うんですけど、それについては説明すると本当に長くなっちゃうので自分たちの信じたいものをただずっと信じていてもゆるされるやさしい「大人のごっこあそび」の世界なんだってことだけ。気になった人は私に連絡ください。いつまでたっても大人のごっこあそびのことは、永遠に信じて愛してしまうんだよ。
そうしてMANKAI STAGE A3! SPRING&SUMMER~2018~の初日の幕が降りて、緞帳の向こう側から出てきたのは横田くんと陣内さんだった。だと思ってた。でも二回目のカテコに二人が登場した途端、私は彼らが今誰なのか分からなくなっちゃった。びっくりしたような笑顔で客席を見回す横田くんはあまりにも佐久間咲也だったし、少し赤くなった目で客席を満足そうに見つめる姿はまさしく皇天馬だった。「オレ、前アナ間違っちゃったんですよ!」「オレは今日も完璧だったけどな。」そんなのもうリーダーズの会話じゃんか。
基本的には役を降りた時点で役者は役者だと思っている人間だから、例えばSNSに役者さんが役者さんの姿で上げているツーショット写真は役者さん同士のツーショットであって、キャラクターのツーショットでは無いと思っているんだけど、エーステにおいてはその境界線が随分曖昧で、どうしていいか分からなかった。だって、咲也くんが言ってた通りに、役者が舞台を降りても物語が終わらないんだよ。それに、カーテンコールってやっぱりまだふたりとも咲也くんと天馬くんの姿をしていたから。
東京公演千秋楽の日、つまり初めての「千秋楽公演」の日のカーテンコールで「僕、初主演で初めての座長で、ほんとに怖くて、……でも、皆が優しくて、皆のことが大好きで、舞台って皆で作り上げるものなんだなって実感しました。」って言葉を詰まらせながら挨拶をする彼の姿は春組公演の千秋楽を終えた咲也くんの感情と重なった。なんていうか、ネルケのキャスティングの真骨頂を見た気持ち。もういつどこで聞いたのか忘れちゃったけど、テニミュのオーディションにおける選考基準の話の中で、顔や声、体格が似てるのももちろん大事だけれど、それより何よりそのキャラクターとしての"タネ"を持っているのかどうかが重要だっていっていた、そんなことを思い出した。
エーステって 舞台の上では基本的に役者の名前が出てこないというか、いわゆる「佐久間咲也役の横田龍儀でした。」をやらないんですよね。ラジオだったりオランジーナの生配信だったりのサブコンテンツではやるんですけど、私の記憶が間違ってなければ、劇場で、舞台上で彼らの口から役者本人の名前を聞いた覚えが一回も無い。前アナでも後アナでも、カテコ挨拶の時も、彼らは徹底して役名しか名乗らないんですよ。これは刀ミュもそうだった。役者が名前を名乗らないこともまた”キャラクター”を”役者”たらしめてくれるんですよ。どこまで優しいんだろう。どこまで、MANKAIカンパニーを存在させようとしてくれるんだろう。
少しだけ私の話になるんですけど、ずっと昔から漫画やアニメやゲームの世界が大好きで、本気でキャラクターに恋をしてはどうしたって世界が交わらない事実に泣いたこともありました。いやホントに。だからこそ、同じ世界に生きようとしてくれるコンテンツが好きで。例えばさっき例に挙げた「アイドルステージ」とか、「うたの☆プリンスさまっ♪」とか。「コンテンツ」って言っちゃってる時点で自分でぶち壊してる感じは否めないんだけど、これは便宜上。私は彼らがこの世界に生きているんだとずっと信じ続けるし、そして彼らもそれも信じさせてくれる。うれしいよね。だってそんなの相思相愛じゃん。
エーステもきっとそれと同じで。同じだけど少し違うのは、彼ら劇団員の輝く場所がまさしく劇場だってこと。つらつら長く書いてきたけど、ここで最初の話に戻ります。劇場というその場所で、舞台に立つ彼らの姿を見られるっていうたったそれだけの事実で、私の心はどうしようもなくふるえちゃう。その彼らの物語が、作り上げられたお話しじゃなくって、間違いなく今、私と同じ時間軸で彼らの公演が積み重なってるって実感できることが、何よりの生の証なんだ。だいすきなひとと、同じ時間を重ねられる。そんな奇跡を、実現してくれたのがエーステだった。
ああはやく劇場にいきたいな。ずっと欲しかったものをその手に掴んで、ずっと憧れてた場所に立つ。そんな太一くんが見る初めての景色の一部になってその網膜に残りたいし、太一くんの鼓膜を揺らす音のひとつになりたいよ。
テニミュに生きる、青春学園のみんなと、私。
タイトルの通り、ミュージカルテニスの王子様の話をします。青学9代目のみんながあのきらきらした世界で息をし始める前に、一度自分の気持ちをまとめておきたいと思って。でも思いっきりこじらせてるしただの懐古厨だし何なら元アンチだし多分何も面白いところは無いと思うので、それでも大丈夫だって思える人だけ、この話を聞いてあげてください。特に7代目の青学が好きな人にとって不快なことも書くかもしれないので、ちょっとでもむかむかしたら引き返してほしいです。
うじうじしてるし、すごく鬱陶しいけれど、一応最後は、テニミュが、青春学園が大好きなんだってきもちで終わるつもりなので、ご容赦ください。
くだらないかもしれないけれど、私にとってはずっとぐるぐると頭の中で渦巻いていた、テニミュの話。
「初めまして」と「卒業」
私が初めてテニミュを観に行ったのは2ndシーズンの関東立海公演。分かる人には分かると思うんですが、この公演、6代目青学の卒業公演でした。
正直、2次元を3次元に表すことなんて絶対に不可能だと思ってた。それなのにどうして観に行ったのかっていうとこれまたテニミュに特に興味の無かったお友達が『春の大運動会2012』を観に行って「案外面白かったよ」って言っていたのを聞いたから。そうなの?って思って話を聞いて見たら、そのお友達のこれまたお友達がチケットを余らせてるんだって。「気になってるなら譲ってもらえるか聞いてみようか?」の言葉にもびっくりしたし、「好きな役者さんが今回で卒業だから、全国全部の公演回ってるんだって」って言葉には唖然とした。でもまあチケットが余ってるのはもったいないし、これもまた縁なのかなあと思って、人生で初めて、親の同伴なしで県境を越えた。夜行バスにも乗った。この時は、観に行ってみて「やっぱりね~」って「まあ面白かったけどこんなもんだよね~」くらいのことを言うつもりでした。ほんと、今思えば何様だよって感じです。
そんな何様は、舞台の上に生きる王子様に完全に心を奪われたのです。正直公演内容のことはあんまり覚えてなくて、ただそこに王子様が存在するってことでいっぱいいっぱいだった。DVDが発売されて改めてゆっくり見ることが出来てやっとどういう話だったか思い出したくらいで。会場に響き渡る力強い歌声が、私の大好きな青春学園の強さを表してた。
飛び散る汗も、苦しい息遣いも、ぜんぶぜんぶ私の憧れ続けたきらきらした青春の世界で、『テニスの王子様』が好きだってことに加えて、『ミュージカルテニスの王子様』のあの熱が好きだと思ったんです。幕が下りて、手が痛くなるくらい拍手をしたのは初めてだった。
王子様たちが一人ずつ頭を下げて袖にはけたと思ったら、また新しい音楽と一緒に舞台上に返ってくる。手に羽根みたいなの付けてるし、なんだこれ、なんだこれ!?って思いながら、でもすごく楽しい曲調だったからいちばん最後にこんなわくわくする歌で舞台が終わるのいいな~って思ってた。そんな呑気なこと考えてた。そしたら、王子様がぴょーんとこっち側に降りて、え!!!!!?????びっくりしてる間に皆通路を走ってくるし、なんとなんと私の席は横も後ろも通路だったので、いろんな人が通っていくの。最後にすごい爆弾落とされた!って思いながら、無意識のうちに菊丸英二くんを探してた。私の永遠の王子様。ゲンキンな夢女子なので、折角ならって。でも、見つけた菊丸くんはずいぶんと遠くにいて、そんなうまいこといかないよねって諦めて、その瞬間に、菊丸くんがこっちに走ってきた。頭の中まっしろになりながら手を振ったら、立ち止まってにっこり笑って手を振ってくれて、ボロボロ泣いた。生きてた。ずっとずっとどうしようもなく大好きだった私の王子様が、生きてたって、そう思った。
掌返す、って本当にこういうことだと思うんですけど、一緒に行ってくれた友達に帰り道ずっと「無理だ」「生きてた」「菊丸ちゃんが!」「可愛い」って泣きついたし、友達はテニス原作自体もあんまり知らない人だったけど、「誰か来た!って思っておかゆの顔見たらびっくりするほど幸せそうで、(この人が菊丸ちゃんか~)って思ったよ」って笑われました。あまりにも分かりやすい。でも、ずっと焦がれ続けた王子様たちが目の前に存在していて、本当に幸せな時間で、また会いたいな~って思った。思って、気付いた。もう会えないんだって。
お家に帰ってから、「卒業」の意味をちゃんと調べた。私が恋をした菊丸英二にはもう二度と会えないんだって分かって、どうしてだろうって何度も思った。その後に『Farewell Party*1』のチケットをライブビューイングだったけど手に入れて、ちゃんとお別れしようと思って映画館に向かって、そのコンサートの中の演出のひとつに心臓を握りつぶされた。
ステージの真ん中にリョーマが立ってて、歌い始めたのが『ROAD』。そのリョーマを囲むようにして制服姿のレギュラー陣が登場して、一列に並ぶ。その後ろに、レギュラージャージを着た新青学が並んで、6代目と7代目が手と手を合わせて入れ替わるんです。初めましての準備なんかひとつもしてなかったし、青春の色をしたレギュラージャージを着た新しい青学を、6代目の皆が制服姿で見つめているその姿だけで、涙が止まらなかった。あの時の私にはあまりにも残酷だった。だって泣いてるんだもん。私の大好きな青学のみんなが、天を仰いで、俯いて、まっすぐに新青学を見つめて、泣いてるんだもん。客席から新青学へと飛んだ「頑張れ!」の声に、共感することは出来なかった。誰が悪いわけでも無くて、ただ私が準備しきれてなかっただけ。でも、私の知ってるリョーマが、私の知らない青春学園メンバーと歌ってる姿を、見てられなかった。だって、「だけど今は横一並び、手を握り合い喜び感じ合える距離さ*2」って、言ったくせに。まだ並んでいてほしかった。せめて、この卒業式が終わるまで。
そうやって結局、ちゃんとしようって思ったお別れは全くできなくて。私はテニミュを離れました。たった一回公演に行っただけのくせにって思う人、すごくいると思います。でも、たった一回だったから、一回しか行けなくて、悔しさしか残らなくて、だからこそこんなに引き摺っちゃたんだろうなあって。私にとっての青春学園中等部の12人は、彼等しかいないからって思ってたんです。全国への切符を手に入れた彼等に、全国大会で戦ってほしかった。
偶然の再会
それから、月日が流れて、今までより公演に行きやすい場所に住み始めても、私がテニミュを観に行くことは無かった。ただ、6代目の菊丸英二くんを演じていた小関くんのことは追いかけ続けてたから、舞台に行く習慣はあって、そんな時に、ひょんなことからテニミュに再会した。履修していた大学の講義で、テニミュが取り扱われたんです。ちょっとわくわくした、だって、テニミュの持つあの熱がやっぱり好きだったから。でも、映像を観るってなって、流れてきたのが『Dream Live2014』で、しかも『誰にも見えない糸』からの『最後のゴールデンペア』で、先生私のトラウマ知ってるの???って本気で思った。そんなピンポイントにえぐられることってある!?(笑)黄金ペアのおたくだから、何よりも新しい「黄金ペア」を受け入れることができてなかったの。
授業だから、観たくないです!って教室飛び出す訳にも行かないし、観た。流石に卒業から二年経ってたし、6代目を思って泣くまではいかなかったけど、ドリライやっぱ楽しそうだなあ~、くらいで、あの時ほどの心を揺さぶられるような気持にはなれなくって、でも、
「おーいし、きっとラストだ、ここに来るのは!」
「うん、俺たち、これからもずっと黄金ペアだぞ!」
「もち!」
って、涙をこらえながら歌うふたりを見た瞬間、どうしてだか分からないけれど、黄金ペアだ、って自然と思えたんです。私が初めて出会った菊丸と大石ではなかったけど、でも、ああこの二人も必死にこの世界で生きてたんだなあって。本当の本当に最後のときに、「最後だ」って歌うの、くるしいよね。私も、聞くのがすごくつらかった覚えがある。テニミュを愛してた6代目を知ってたから。そしてきっと、7代目のみんなの涙も、同じなんだろうなって、テニミュを愛して、くるしいこともつらいことも乗り越えて、舞台上にきらきらした世界を届けるために、必死だったんだろうなって、わかった途端に、頑なに7代目を受け入れなかった自分は、ばかだったなあって思えた。あんなに6代目を最初から見届けられなかったことを後悔したくせに、7代目を最初から見届けられる機会を自分から手放したんだってことに、初めて気付けた。本当に本当にもったいないことしたなって、心の底から思ってて、とりあえず2nd関東立海公演までしかなかった私のDVDの棚に、比嘉公演以降が増えました。きっと6代目が卒業したころの私に言ったって伝わらないことだけれど、また私が出会えるまで、舞台の上に生きてくれていた7代目に本当に感謝したんです。
そして偶然って重なるもので、そんな風に思ってた私のもとに流れてきたツイートが、8代目菊丸英二を演じている本田礼生くんの呟き。11月28日の、菊丸英二くんの誕生日に、「菊丸っぽく撮ってみました☆」って写真付きであげてくれたそれが、TLに流れて来て、また私の知らない菊丸が生きてるんだって思ったら、観に行かなきゃって。今度こそ見逃しちゃダメだって思って、気付いたらチケットを取ってた。そうやってまた「初めまして」をした青春学園のみんなは、やっぱりきらきら輝いてて。ここにたどり着くまでに随分と時間がかかって、結局8代目のことだって山吹、ドリライ、氷帝しか見届けられなかったけど、でもたった1公演しか行けなかったあの時よりは、ずっと気持ちは落ち着いてる。千秋楽のあの日、あの場所で、8代目を送り出せたことも、理由のひとつかもしれない。
もう一回、「初めまして」
6代目菊丸英二を通して、演じていた小関くんのことも好きになって、その後もずっと追いかけ続けて、いろんなお仕事を見た。どんな役でも輝いてたし、かっこよかったし、やっぱり好きだなあって思ったけど、どこか面影を探している自分もいて、それがすごく苦しかった。新しいお仕事が嬉しくて、頑張ってほしいって思ってたけど、それと同時に、もう二度と会えないんだなって言うことを突きつけられているような気がしてた。
でも、さっきも書いたけど私がこんなに引き摺ったのはやっぱり最後のその日をこの目で見届けられなかったこと、好きだって伝えられなかったことが大部分を占めていたんだろうなと、それが理由でちゃんとお別れが出来なかったんだろうなと思ってて。でも、この間ちゃんと伝えられたんです、「小関くんの菊丸が本当に大好きでした。」って。うんってしっかり頷いて笑ってくれたのを見て、憑き物は落ちたみたいだった。伝えられる時に伝えなきゃいけないし、会える時に会いに行かなきゃいけないって、私はテニミュを通して実感しました。
皆が7代目の話ばっかりするのが寂しくて、いつか6代目のことを忘れ去られちゃうんじゃないかってすごく怖くて、でも、テニミュの舞台上に彼がいる時間が終わってしまっても、彼がいた事実は何も変わらないから、新しい青学が息をし始めるからって、私の大好きな青学が消えちゃうわけじゃない。こせきくんの菊丸をずっとずっと好きでいながら、まりおくんの菊丸のかっこよさにどきどきして、れおくんの菊丸に魅力を感じる事は、なんにも矛盾してない。好きな人が、増えるだけなんだよって、やっと気付けました。これに気付くのに随分と時間がかかってしまったから、7代目のことはまだまだ分からないことだらけだし、8代目のことも最初から応援できなかったけど、でも、今こうして気付けて本当に良かった。どんなに6代目がいとしくても、今目の前で生きててくれる青学が、まぶしくて仕方ない。
だから、9代目に会えるのが、今はすごく楽しみです。初めて私が、一番最初から見届けていける青春学園の皆との出会いもきっと、熱くてきらきらな舞台の上で。
カレーライスを作るとき、
「それもう好きじゃん」「違います好きじゃないです!」
「大人になったら、みんなでカレー屋をやろう!」祖父が亡くなった日、ケンスケ、サトル、ワタル、ヒカリ、コジロウ、5人のいとこたちが約束をした。"じいちゃんのカレー"の味が忘れられず、もう一度よみがえらせようと、5人は誓い合うのだった…。13年後、大人になったら、なったケンスケは、ワタルを誘って、カレー屋の夢をスタートさせる。アメリカ・バーモント州に留学しているヒカリを訪ね、インドにいるサトルにも会いに行く。ケンスケとワタルはサトルとのカレー対決に勝利し、サトルと一緒に日本へ戻る。やがて、ケンスケたちは沖縄に向かい、祖父のカレーのルーツに"黄金"が関わっていることを知る。さらに、コジロウの意外な出世の秘密も明らかになっていく。カレー屋の夢は本当に実現するのか?そして、新しい"じいちゃんのカレー"は誕生するのだろうか!?(カレーライフパンフレットより)