だれもしらないおとぎ話。

いつもどこかで恋してる

忘れ物は一緒に探そう──秋組単独公演に寄せて

 今からちょうど一年前。2020年1月18日に初日を迎えた秋組単独の公演期間中ずっと、奇跡のような時間を過ごしていた気がする。でも全部まぎれもない現実で、今でもまなうらにはっきりと思い起されるシーンがたくさんある。だいすきな男の子が舞台の上に生きてくれていることが、なによりも幸せだった。劇場に行けばすきなひとに会える。ずっとずっと、誰かに愛されたいと願っていた男の子が、舞台の上で輝く姿をこの目で見つめることができる。こんなの、幸せなんて言葉でも言い表せないくらいだった。

 「…なんでもいい。とにかくアツくなれるものを求めていた。」秋冬公演を想起させる万里くんのポートレイトから始まって、太一くんにスポットライトが当てられた瞬間に息をのんだ。「自分はどんなにがんばってもここまでなのかもしれない。」と言葉を紡ぐとき、彼はどこか諦めたように笑うことがあった。

 太一くんってまだたったの16歳なんですよ。それなのに、16歳がするとは到底思えない顔をして笑っていて。その笑顔が、太一くんがこれまでたくさん苦しんで、傷ついて、そして諦めようとしてきたことを悟らせる。ここが自分の限界なんだって知ったときの絶望なんて計り知れなくて、そんなどうしようもないくらいの感情を抱えたときにそんな顔をして笑うんだと思ったら、太一くんのことをぎゅっと抱きしめたくて仕方なくなっちゃった。

 太一くんが初めてゼロちゃんを演じてみて、全員からけちょんけちょんにされるシーン。明らかに様子のおかしい「私の名前はゼロよ!よろしくね♪うふっ♪」で笑っちゃうんだけど、でも一生懸命に可愛い笑顔を作ろうとしている表情の中にこれでいいのかなって不安が見え隠れしていて、本当に真面目にやってるんだろうなって伝わってくるのが好きだということ。「秋組で女役をやれるのは太一しかいないと思って」といわれてものすごく嬉しそうに頷くのが、太一くんにとって”唯一”であれることの喜びを感じられるということ。だからこそ、「失敗だったかな」とか「最悪の場合、書き直してもらう必要もあるかもしれん」って言葉が耳に入った瞬間に表情が固まって、そのあと普通にふるまっているようであんまりうまく笑えていないように見えるのが苦しいということ。いくらだって思い出せる、七尾太一という男の子の全てを舞台上に存在させてくれていたシーンのひとつひとつがいとしくて、大切で。もちろんそのどれも日々同じものなんてひとつもなくて、毎日少しずつ違う太一くんの感情や表情から目を離すことなんてできるはずもなかった。

 例えば臣くんがガレージに仕舞ってあるバイクのところに行くシーン。扉を開いて、少し荒い息遣いでバイクを見つめ、過去と向き合おうとする臣くんを太一くんが目撃する。上手側にそっと隠れて臣くんの姿を見守る太一くんは、拳をぎゅうっと握り締めて、音にならない声で「がんばれ」と呟いた日があって、うわ、好きだ!って感情で溢れたんだよね。すごく好きだったひとのこと、その一瞬でもっと好きになっちゃった。そういう瞬間が、本当にたくさんありました。

 

 2幕、左京さんがいなくなるかもしれないとなったとき、真っ先にいやだと声をあげるのが太一くんです。多分秋組のみんなってこういうこと素直に言えなくて、そういうところが不器用でどうしようもなくて愛おしいところでもあるんだけど、太一くんの素直なわがままがそんな不器用な男たちの背を押す構図に、いつも心臓がぎゅっとなる。「俺は嫌だ!」と荒げる声には、誰一人欠けてはいけない、欠けてほしくなんてないと思う太一くんの願いが強く強くこもっていました。だってね、太一くんが「MANKAIカンパニーの、秋組の七尾太一」になれたのは、旗揚げ公演前夜のあのときにみんながいてくれたからなんだよ。あの日、断罪しないでくれたこと、けれども簡単に許すわけじゃなく、お前の力で納得させて見せろと言ってくれたこと、それはきっと秋組のみんなじゃなかったら導き出せなかった受け入れ方で、そうやって受け入れてくれたからこそ太一くんもこうして素直な言葉を口にだせるんだな~と思ったら、秋組への感謝でいっぱいで……。

 

 この話、私にとっての秋単独のサビすぎて一生言ってるね。私はずっと七尾太一くんのオタクだったけど、秋冬公演、秋組単独公演を経てやっと、秋組のオタクになれたような気がします。

 エーステが始まってからずっと、A3!という作品を劇場に観にいけることに大きな意味があるという話をしている気がするんですが、秋組単独公演でよりしみじみとそれを実感しました。劇場の生感、毎日違う温度や言葉の紡がれ方、目線の動き。いろんな劇場で、いろんな席で、角度によって見えるもの全てが違っていて、その世界を作り出す全てのものを目で耳で肌で心すべてで感じていたらもうびっくりするくらいたくさんのことを考えさせられた。

 公演期間二日目にしてこの勢いだけど、千秋楽を迎えるその日までずっとこう思ってたし、太一くんのことだけじゃなくて、秋組のことも、MANKAIカンパニーのことも、毎日どんどん好きになる日々だったんですよね。

 

 秋単独初日からちょうど1年。いろんな人のあの日々を振り返る言葉や文章を読んでみても、私が見たものと同じものはひとつもなくて、あの期間、劇場の椅子に座って秋組単独公演を目にした全てのひとにとってきっとその景色はそのひとにしか見ることのできなかった景色なんだなあと思ったら自分の記憶が思っていたよりもっともっと更に大切で大事な宝物なんだなって再認識できました。

 だからこのブログは、私にとっての、私だけのかけがえのない宝物の話。宝箱にずっと仕舞っておいてひとりじめしておくにはもったいなくて、みんなに聞いてほしくなっちゃうような、そんな大切な記憶を持っていることが幸せだし、誇らしいし、そんな記憶をくれる劇場という場所がやっぱり大好きだなあ。

 楽しかった記憶が色濃くて、大好きだなあと思う気持ちが溢れるからこそ気軽に足を運ぶことが難しくなってしまった今の世の中がどうしても苦しいけれど、いつになってもいいからキンモクセイの花が咲く頃に”また”秋組のみんなに会いたいな。

 タイトルはめちゃめちゃ好きだった豊橋公演の太一くんの後アナから。忘れ物、ひろいにいかなきゃね!