だれもしらないおとぎ話。

いつもどこかで恋してる

最後の幕が上がる前に。―エーステ秋冬公演、千秋楽前夜

1月31日に幕を開けたMANKAI STAGE『A3!』~AUTUMN & WINTER 2019~も、もうすぐ終わりを迎えようとしている。東京凱旋公演の千秋楽まで、後1日。

 

あっという間だ。春夏って謎の空白期間が存在したせいでトータルすると期間としてはすごく長かったから、凱旋公演が始まったときもまだ観られるんだ!って思ってたけど、その時の感覚で生きてたら凱旋公演が来るのがあっという間すぎてびっくりしちゃった。この間始まったばっかりなのに。

それでも大阪から凱旋まで少しだけ日にちが空いたから、ずっと読み返そうと思ってた原作ストーリーを読んでみました。

あの四角い画面の中には、その場にいる全員が映し出されるわけじゃない。例えばリビングに劇団員全員が集まってたって、その事実だけが存在して、プレイヤーの目に見えるのは今言葉を発している数人だけ。その時に、今この画面に映っていない人が果たして何をしているんだろうってところまで、あんまり考えないじゃないですか。…勿論考える人もいるかもしれないけど、少なくとも私は、目の前のストーリーを追うのに一生懸命で、目の前で話している人から発される言葉を受け止めるのが第一だった。四角い画面上だと、視点の選択肢があんまり無いんですよね。

でもそれが舞台になると、何してるんだろう?って考える必要もなく、そこで誰かが何かをしてるんです。何かしてるって言い方もおかしいかもしれないけど、舞台裏に引っ込まない限り、話題の中心にはいない人でも「今、何をしているのか」がわかる。当たり前のことだけど、これってものすごいことだった。

 

原作ゲームをやってる方は是非バッドボーイポートレイトの一番最初、第2話『秋組のオーディション』だけでも読んでみて欲しいんですが、秋組オーディションがついに始まるぞ!ってシーン。まず最初に太一くんと臣くんがオーディションに来てくれるじゃないですか。

この後、臣くんが夏組のときにお手伝いをしていた顔見知りだったこともあって、みんなが臣くんに話しかけて、臣くんの話をして盛り上がるんです。それはプレイヤーであるカントクも同様だから、その視点でしかこちら側には情報が与えられないんですけど、これが舞台になると視点の選択肢が増えるんですよね。
初めて秋冬公演を観た時、綴くんと椋くんが嬉しそうに臣くんへ顔を向けている間、確かにその奥には誰にも見てもらえなくって手持ち無沙汰になっている、ゲームの画面上には一切出てこなかった七尾太一くんの姿があって。凱旋公演あたりでこそ、綴くんが太一くんのことを見てぺこぺこ頭を下げるようにはなったんですけど、それはまるでずうっと誰からも見てもらえず、影の薄い存在として生きてきた太一くんのこれまでを表しているようでした。
ゲームの画面で見ていたときにはあんなに違和感もなくって、なんでもなかったその一瞬にひとりの人間の人生が映し出されていることに気付いて、まるで頭を殴られたような心地で。

現実世界に生きる私たちにも、人の数だけそれぞれの人生があるように、キャラクターにだって勿論1人ひとりの人生があります。A3!っていう作品は、もともとそれをとても丁寧に描いてくれていると思っているんですが、舞台という形になることによってその丁寧に描かれたそれぞれの人生が交錯する物語の主軸となる人物を、自分で選べるようになるんだなってことに気付きました。
私はずうっと七尾太一くんを見て、彼の行動全てを追いかけていたから、彼の楽しそうな顔も、悩む顔も、罪悪感に押しつぶされそうな顔も、そして何より、大好きな仲間と立った舞台の上からあふれんばかりの拍手で埋め尽くされる劇場を見つめる顔も、何一つ見逃したくないと思うものばかりだと知っています。だって全てが七尾太一くんの人生を構成する大切な感情だから。そうやって太一くんの姿を見つめ続けた時、私にとってあの物語の主役は間違いなく七尾太一くんでした。

そうしてきっと、私が太一くんを見つめたように、万里くんや十座くんを、左京さんや臣くんを、冬組の皆さんや、春夏組、裏方組や、GOD座のお二人を主役としてあの物語を追いかけた人もたしかにいるんだろうと思います。


『夢を見る全てに脇役なんていないはずさ』

 

原作のテーマ曲のそんな一節を思い出すような、間違いなく、誰もが主役に成りうる作品でした。

 

ここで太一くんを演じてくださっている役者さんのお話をさせていただきたいのですが、前回のブログで私が話題にあげていたオトメディアの2月号、そこで彼は自分が演じるキャラクターへ一言言葉を手向ける枠で「太一は僕が主役にする」と、そうコメントされていました。

これ、最初は太一くんが秋組のお芝居(エーステでいう劇中劇)で主役を務めることになるとき、やっぱりその"主役を務める太一くん"の姿をこの世界に存在させられるのは赤澤くんだけで、そこまで七尾太一くんと一緒に歩んでくれるのだと、そういう意味だと思ったんです。もちろんそれだけでも十分すぎるくらいの言葉だと思うんですけど。

自分が誰を主役とするかの視点を決められるんだって思ったとき、役者さんの演技や、役者さん演じるキャラクターに惹きつけられる人がいればいるほど、そのキャラクターを主役として物語を追いかける人が増えていくんだと気付けば、点と点が線で繋がるような気持ちでした。私の勝手な解釈だからご本人の意図しているところとはもちろん違うかもしれないけれど、彼が七尾太一くんの繊細な感情を丁寧に表現してくれるたび、七尾太一くんに目を奪われる人がきっと増えて、そうしてその人の中で、七尾太一くんが主役になるんです。ずっとずっと、人気者になりたい、愛されたい、誰かにこっちを向いて欲しいと願い続けていた太一くんが。

 

太一くんを主役としてあの物語をみて、私、もっともっと太一くんを大好きになっちゃった。もちろんお客さんとして秋組旗揚げ公演「なんて素敵にピカレスク」を観劇する私は太一くんのそんなバックグラウンドなんて知らないんだけど。

俯瞰した目線でも太一くんのことをこんなにも愛おしく思ってしまって、MANKAI カンパニーのお客さんとしてもあんなに儚い表情と明るい笑顔の両面を見せる演技のできる太一くんに目を奪われる。こんなにいっぱい好きになれるなんて贅沢だよね。羨ましいでしょ。

エーステ、本当に多幸感ばかりを与えてくれる。明日で秋冬が終わっちゃうなんて本当に信じられないけど、泣いても笑っても後一回。きっとまた私の大好きはもっと更新されるんだ。

 

太一くんへ、あなたの人生にこの客席から関われたことが、あなたが舞台上でこの上ない幸せを感じている瞬間に、その耳に届いた拍手の音のひとつとなれたことが、どうしようもなく幸せです。ひとつだけわがままを言ってもいいのなら、明日は「またね」って言わせてほしいな。

 

明日もみんなが、それぞれの形で、満開に咲き誇れますように。