だれもしらないおとぎ話。

いつもどこかで恋してる

あなたと生きられる世界はきっとどこまでもまぶしい─「MANKAI STAGE A3! ~SPRING&SUMMER 2018~」に寄せて

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これは私のつぶやき。ふと思った。いやずっと考えていたことだったけれど、春夏公演の千秋楽を迎えて、秋冬公演の全情報が解禁されて、私の大好きな七尾太一くんのビジュアルが発表されたときに、それがより実感を伴って身に染みた。ずっとずっと、舞台の上に立つ七尾太一くんに惜しみない拍手を送りたかった。それが叶う。しかも何がすごいって、ただ「七尾太一」をこの目で見られるだけじゃない。「七尾太一の演じたベンジャミン」を観て、「七尾太一の出演舞台」の幕が下りるその瞬間に拍手を送れる。すごくない?すごい!!他を下げる意図でこれを言うんじゃないっていうのを前置いたうえで、これまでの数多ある2.5次元舞台の中でこんなにも2次元と3次元の境界線を曖昧にする作品、無かった気がする。

 幕が開く

そもそも、A3!というゲームがリリースされたときからずっと、これはきっと舞台化するんだろうなって考えてた。だってこれだけたくさんの作品が舞台化している中で、舞台とか役者とか劇場とかそういうものをテーマにした作品を舞台化しない手はなくない?いくらでもやりようがあるどころか、やりようしかない!だからエーステが発表されたときも「ついに来たか!」って感じだったし、どんな風にA3!の世界を、MANKAIカンパニーを表現するんだろうってずっとわくわくしてた。大好きな作品だし、敬愛してやまない演出家さんと脚本家さんだし、楽曲を手がけるのも最高の人だし、なんたって推しも出演するし、私にとってこんなに最高の舞台ある!?って、最高潮にあがったテンションで迎えた初日。

 

気が狂っちゃうかと思った。

 

確かに、間違いなくそこに生きてた。全ての幕が下ろされた瞬間、自分が今どこにいるのかすらわからなくなっちゃうくらい、彼らの世界に没入してしまった。最初こそ普通に観てたんですよ。メインのストーリーは大事なところを救い上げて丁寧に描いてくれるし、画面の上だけでは分からなかった微妙な表情の変化とか、動きとか、そういうところが可視化されることによってここってこういうシーンだったんだって新しい発見がうまれたりとか。そういう、2.5次元にすることで浮き出てくるものを受け取って、大好きなキャラクターたちが目の前で動いて喋る、それだけで十分すぎるくらい満足だった。のに!

演劇を始めた動機も、演劇に対する熱も、何もかもがばらばらで、上手くかみ合ってなかった春組が少しずつ少しずつ距離を縮めて、迎える本番当日。ついに初日ですね!って支配人と咲也くんが話して、「最初は二人だけだったのに、ついにここまで来られました。」って紡ぐ。紡ぎながら、天井に視線を向ける。「あ、」って思った。あ、いま咲也くんは劇場にいるんだ。お客さんが入る前の劇場で、幕が開く前の舞台の上で、支配人と話している。それが、今この、私がいる劇場なんだ。「よろしくお願いします、カントク!」ここまで、ここまでは私たちが「カントク」だった。元気良く頭を下げた咲也くんが、準備のために袖にハケる背中を見送った、その先。MANKAI劇場を思わせる真っ赤な緞帳だけが目に入って、耳に飛び込んでくるのが劇場アナウンス。

 

『本日はMANKAIカンパニー春組公演「ロミオとジュリアス」にご来場いただきまして、誠にありがとう御座います。』

 

ここからだった。ここから私たちはMANKAIカンパニーのお客さんになる。私が座っていたあの椅子が、MANKAI劇場の椅子になって、私が見ているその舞台が、MANKAIカンパニーの公演になる。アナウンスが終わって幕が開いて、シトロン演じるロレンス神父の語りが始まった瞬間にもうどうしようもなくうれしかった。

私がずっと観たかった景色ってこれだった。私、MANKAI劇場に足を運ぶお客さんになりたかったんですよ。「カントク」に個性的なキャラクターがあてられているから、ちょっとだけ感情移入しにくかったのもある。自分が若手俳優のおたくをしているから、役者を応援するっていうスタイルに共感できるのもある。いろんな理由が交わり合って、原作を楽しむ時は「MANKAIカンパニーのファン」としての楽しみ方をすることが多かった。そんな楽しみ方が、まさかこんな形で浄化されるなんて、思う?

ものすごく図々しい言い方をします。個人のブログだからゆるしてね。私、あの瞬間あの場所で、お客さんとしてキャスティングされたんです。そんなことってある?あるんですよ。エーステなら、エーステだから!ロミジュリの演目が終わって、最後の音が止まった瞬間、客席に拍手の渦が起こる。さっきまでロミオだった彼が、その音を聞いて佐久間咲也になる。「あ、」って顔して客席を見回すみんなと、「これ、拍手…!」っていう噛み締めるような言葉。ここ、私の一世一代の演技ね。いやぜんぜん演技じゃなくて心からの拍手なんだけど。この舞台にはこの拍手が間違いなく必要なんですよ。「本日は誠に、ありがとうございました!」って春組みんなでお辞儀をして、幕が閉じていく。ぎゅうってズボンを握り締めて、深々と頭を下げる咲也くんとか、お辞儀の後にまたぱっと顔を上げて客席にぶんぶん手を振っちゃうシトロンとか、私知ってるこういうの。さっきまで舞台上にキャラクターとして生きていた人たちが、カーテンコールでめいっぱいの拍手を浴びて役者になる瞬間。こういうの、いろんな舞台で見てきた。生きてるんだよ。咲也くんたちが劇中劇のキャラクターを演じた「キャラクター」だってこと知ってるのに、間違いなく目の前で「役者」として生きた。生きてた!あの瞬間だけは、彼らが生きる世界に私も一緒に生きてた。エーステ、2次元を3次元に浮かび上がらせるだけじゃなくって、私たちを向こう側に引っ張ってくれる。贅沢だ。こんな贅沢しちゃったらもう二度とエーステから離れられなくなっちゃう。離れる気なんて微塵も無いけど!

時が動く

ここまでが初日の衝撃と多幸感の話。で、ここからはエーステにもうめちゃくちゃおびえた話。勿論いい意味で!
千秋楽って割とどの舞台でも特別になるもので、その日だけのちょっとしたちいさな追加演出があるタイプの舞台もある。まあそれが良いか悪いかみたいな話はここでは置いておいて、エーステも例に漏れずそれがあったんですよ。これは予想の範疇。
絶対演出変わるだろうなって分かってたのに、分かってたのに東京千秋楽のその日の春組公演が始まる前、いつもは「本番当日」(「春組初日」だったかも?記憶がちょっと曖昧)って出て来るスクリーンに「春組千秋楽」って出て来た。うわって思った。完全にこれまでとは別の日だった。支配人が慌てて降りて来て「千秋楽のチケットが完売しました~~~!」って、お客さんが満杯に埋まった劇場で言う。千秋楽の日に、チケットが完売している劇場で!ありとあらゆることが今ここのこの場にしかない事象過ぎて、何度も言っているけど自分の今いる場所が分からなくなるの。

いつもは幕が降りた所で2人きりで話してた咲也くんと支配人の会話が、幕が降りる前に行われる。

 

「いよいよですね!」

「オレたち二人だけだったのに、あっという間ですね!千秋楽だなんて!」

「舞台は、あっという間に時間が過ぎていくんですよ!ラスト一回、頑張ってくださいね!」

「はい!『The show must go on.』 何があっても最後まで、皆で走り切ります!」

 

もう全然違うじゃん。千秋楽なの!語彙力が全く足りてないんだけど、全てが千秋楽なんだよ!!!その後、いつものように幕が降りて、いつもと違って至さんが出て来た瞬間、あ~~~~~~~って天を仰ぎかけた。舞台から目を離すわけにはいかないから概念だけに留めたけど。至さんが少し足を気にするそぶりを見せてしゃがみ込む。袖からシトロンがひょっこり顔を出して神妙な面持ちで「二日くらい前からおかしかった。公演中に怪我、したのネ。」っていう。これ、さっきまでの春組ストーリーの話で私が書いていなかったわけじゃなくて、本当の本当にこの日に初めて見た光景。

私、春組ストーリー読んでて最初のうちは至さんのこと全く食指に引っかかって来なかったんですけど、春組スト最後の最後、幕が降りた裏で思わず涙を流す茅ヶ崎至のスチルに心臓を鷲掴みにされた女なので、そこのシーンが無いのちょっと寂しいなあって実は思ってた。思ってたら、これだよ~~~~~!!!!!そうだよね、至さんの涙って初日を終えて公演期間をみんなと一緒に駆け抜けて、自分の不調すらも隠してまでみんなと舞台に立ちたいという気持ちに気づいてしまって、そしてたどり着いた"千秋楽"のその日だからこそこみ上げて来てしまったものだもんね……。全てが積み重なって、積み重なった時間があって初めて流す涙なんだよ。「ゲーム以上に本気になれるものなんて無かった」って言ってた至さんが、思わず涙を流してしまうくらい熱くなってることに気付いちゃった千秋楽っていう、特別な日。

も~~~それはさ、それはまさしく「千秋楽」じゃん!?しかも千秋楽”演出”じゃなくって千秋楽”公演”なんですよ。演出なんかじゃなくって、これがまさしく春組の千秋楽なんだよ。私の文章力が無さ過ぎて言いたい事の半分も伝わっている気がしないんだけど、体感としてはも~~~~~天才!?って気持ちで埋め尽くされる感じ。3次元の私から見て、何回公演に通ったって、どれだけ日替わり演出があったって、ただひとつ揺るぐことの無い筈の”舞台上で流れていた時間”が動いた瞬間。生きた。完全に生きたじゃん。だって彼らはあの瞬間「春組初日公演」から「春組千秋楽公演」までの時を確かに生きたってことが証明されたんだよ。もう完敗。いや勝負じゃないけど。負け負け!私の負け!もう好きにして!


その千秋楽の日にだけ、春組公演前の左京さんのお説教の内容も少し変わる。

 

「千秋楽だからって安易に”千秋楽スペシャル”的な日替わりネタに走って客を失望させる劇団を山ほど見て来た!新規の客もリピーター客も満足させて初めてうんたらかんたら…」

 

って、これ、メタネタ含んだギャグみたいに捉えることも出来るんだけど、違った観点で観ればこの言葉が出ることがつまり、この後に幕が開く春組公演は左京さんが忠告したとおり”千秋楽スペシャル”なんかじゃなくって、あらかじめ用意された"日替わり"じゃなくって、彼らの千秋楽公演の日に偶然起こってしまったハプニングであり、それを乗り越えるための突発的なアドリブなんだってことを証明しているんですよ。うわ、もう、本気か…??エモを作り上げる天才じゃない?こわ……。

あと春組の話だけでここまで使ってるけど夏組で印象に残った話もさせてほしい。夏組、「初日公演」の時のカテコでは一度お辞儀した後に、その状態のまま天馬くんが幸くんの手を握りにいって、驚く幸くんに対してみんなで手を繋ぐことを促すんだけど、「夏組千秋楽公演」ではもう当たり前みたいにみんなが手を繋ぐの。最後の音が止まった瞬間に、皆が立ち上がって歩み寄る。繋いだ手を高くあげて、皆一緒にお辞儀をする。そんな些細な変化。些細だけど確実な変化。そこに、確かに積み重なった時間が見えて、やっぱり泣いちゃいそうだったし、いくらでも惜しみない拍手を送り続けたかった。

 

ちゃんと私、MANKAIカンパニー春組と夏組それぞれの「初日」と「千秋楽」を見届けて、その成長を感じ取ったの。

生きる

役者が自分の演じたキャラクターとして役を演じるって言う複雑に重なったレイヤーの構造が私たちから役者の姿を隠して、キャラクターを“役者”として見せてくれるんだろうなあとそう思う。ここでいう「役者」は3次元の俳優さんで、「"役者"」はMANKAIカンパニーの劇団員のこと。これ、ネルケプランニング主催の「アイドルステージ」から通ずるものがあると思うんですけど、それについては説明すると本当に長くなっちゃうので自分たちの信じたいものをただずっと信じていてもゆるされるやさしい「大人のごっこあそび」の世界なんだってことだけ。気になった人は私に連絡ください。いつまでたっても大人のごっこあそびのことは、永遠に信じて愛してしまうんだよ。

そうしてMANKAI STAGE A3! SPRING&SUMMER~2018~の初日の幕が降りて、緞帳の向こう側から出てきたのは横田くんと陣内さんだった。だと思ってた。でも二回目のカテコに二人が登場した途端、私は彼らが今誰なのか分からなくなっちゃった。びっくりしたような笑顔で客席を見回す横田くんはあまりにも佐久間咲也だったし、少し赤くなった目で客席を満足そうに見つめる姿はまさしく皇天馬だった。「オレ、前アナ間違っちゃったんですよ!」「オレは今日も完璧だったけどな。」そんなのもうリーダーズの会話じゃんか。

基本的には役を降りた時点で役者は役者だと思っている人間だから、例えばSNSに役者さんが役者さんの姿で上げているツーショット写真は役者さん同士のツーショットであって、キャラクターのツーショットでは無いと思っているんだけど、エーステにおいてはその境界線が随分曖昧で、どうしていいか分からなかった。だって、咲也くんが言ってた通りに、役者が舞台を降りても物語が終わらないんだよ。それに、カーテンコールってやっぱりまだふたりとも咲也くんと天馬くんの姿をしていたから。

東京公演千秋楽の日、つまり初めての「千秋楽公演」の日のカーテンコールで「僕、初主演で初めての座長で、ほんとに怖くて、……でも、皆が優しくて、皆のことが大好きで、舞台って皆で作り上げるものなんだなって実感しました。」って言葉を詰まらせながら挨拶をする彼の姿は春組公演の千秋楽を終えた咲也くんの感情と重なった。なんていうか、ネルケのキャスティングの真骨頂を見た気持ち。もういつどこで聞いたのか忘れちゃったけど、テニミュのオーディションにおける選考基準の話の中で、顔や声、体格が似てるのももちろん大事だけれど、それより何よりそのキャラクターとしての"タネ"を持っているのかどうかが重要だっていっていた、そんなことを思い出した。

エーステって 舞台の上では基本的に役者の名前が出てこないというか、いわゆる「佐久間咲也役の横田龍儀でした。」をやらないんですよね。ラジオだったりオランジーナの生配信だったりのサブコンテンツではやるんですけど、私の記憶が間違ってなければ、劇場で、舞台上で彼らの口から役者本人の名前を聞いた覚えが一回も無い。前アナでも後アナでも、カテコ挨拶の時も、彼らは徹底して役名しか名乗らないんですよ。これは刀ミュもそうだった。役者が名前を名乗らないこともまた”キャラクター”を”役者”たらしめてくれるんですよ。どこまで優しいんだろう。どこまで、MANKAIカンパニーを存在させようとしてくれるんだろう。

少しだけ私の話になるんですけど、ずっと昔から漫画やアニメやゲームの世界が大好きで、本気でキャラクターに恋をしてはどうしたって世界が交わらない事実に泣いたこともありました。いやホントに。だからこそ、同じ世界に生きようとしてくれるコンテンツが好きで。例えばさっき例に挙げた「アイドルステージ」とか、「うたの☆プリンスさまっ♪」とか。「コンテンツ」って言っちゃってる時点で自分でぶち壊してる感じは否めないんだけど、これは便宜上。私は彼らがこの世界に生きているんだとずっと信じ続けるし、そして彼らもそれも信じさせてくれる。うれしいよね。だってそんなの相思相愛じゃん。

 エーステもきっとそれと同じで。同じだけど少し違うのは、彼ら劇団員の輝く場所がまさしく劇場だってこと。つらつら長く書いてきたけど、ここで最初の話に戻ります。劇場というその場所で、舞台に立つ彼らの姿を見られるっていうたったそれだけの事実で、私の心はどうしようもなくふるえちゃう。その彼らの物語が、作り上げられたお話しじゃなくって、間違いなく今、私と同じ時間軸で彼らの公演が積み重なってるって実感できることが、何よりの生の証なんだ。だいすきなひとと、同じ時間を重ねられる。そんな奇跡を、実現してくれたのがエーステだった。

 

ああはやく劇場にいきたいな。ずっと欲しかったものをその手に掴んで、ずっと憧れてた場所に立つ。そんな太一くんが見る初めての景色の一部になってその網膜に残りたいし、太一くんの鼓膜を揺らす音のひとつになりたいよ。